2017年1月29日日曜日

鉄道コレクション ~南海1201系~

鉄コレ23弾の車両の一つ、南海1201系です。
この車両、23弾の中では東武の車両と同じく人気度の高いもので、
中身が分かっている状態での販売でも高いものとなっています。

因みにプロトタイプは貴志川線での晩年期の状態の物(最晩年は側面の社章がCIロゴになっている)で、車番も前面に車番が付けられている状態です。

1201系は昭和9年に登場、戦中、戦後と20年に渡って増備が行われ、その間に2段上昇窓から1段下降窓に変わったり、所謂ミニスカートが追加されたりと外形的な変化があるが、形式変更などは一切行われていません。
基本的な仕様は

電動機器:MB-146-SFR(三菱製75Kw出力)
制御器:PC-14-N
ブレーキ:AMJ(AVR)→AMA(晩年期)

でした。

さて、貴志川線では南海傘下に入った当初、和歌山電軌より引継いだ雑型車が多くいました。
中にはガソリンカーを電車化改造し、両端に荷台を装備した車両(クハ802)も存在しました。
その後、昭和44年に15m車である1051系が主となりましたが、
本線、高野線系統の1500V昇圧化に伴い(1521系と2051系を除く)旧型車両と初期新性能車両の一部が廃車になりました。
1201系も多くが廃車・地方へ譲渡となりましたが、貴志川線は昇圧対象から外れた事もあり、
1201系10両が貴志川線へ移り、以後2270系に置き換えられるまで余生を過ごすことになります。

1201系1201形
プロトタイプとなる頃の1201系は台車がK-16、パンタグラフはPT-35S-Zとなっています。
台車については製造当初には木造車で使用していたものから流用されたブリル27MCB2を装備していた他、K-16以外にD-16、KN-16と言ったものが使用されていました。
貴志川線に転属した車両群はK-16で統一されていたようです。

PT-35のパンタグラフはどの模型メーカーも製造していないので鉄コレ推奨のPG-16(東芝製パンタグラフ)を装備させています。PT-35やPT-42に近い感じのものなのでこうなります。
因みに製造当初のパンタグラフは三菱製の物を装備、その後大きな台座はそのままに構造がPS-13同様簡易なものに変更されたりし、その後にPT-35S-Zとなります。
おそらくPT-35S-Zへ切り替わったのは貴志川線へ転属した後かと思われますが…。
因みにPT-35-S-Zに換装される前のパンタグラフは横碍子のものになるので、その時代を再現するとなるとパンタ周りで苦労しそうです。
また、昭和末期にMGの増設改造も行われています。



1201系1201形 和歌山側
貴志川線転属後におそらく2灯シールドビーム化されたかと思われます。
因みに製造当初の1201系は正面の前照灯の両サイドに強制通風器がありました。
この強制通風器は戦中には無くなっています。
また、製造初期の頃は鋲接併用で、増備途中から溶接範囲が広がり、その後全て溶接するようになっています。


1201系1201形 貴志側
パンタ寄りが貴志側となります。
本線系統とは逆ですね。
1201系は当初雨樋は無かったのですが、後に増設が行われました。
それ故に幌の装備も相まって武骨なイメージがします。
その他、車体更新時に前面及び戸袋窓のHゴム化等が行われています。
因みに前面窓ですがHゴム固定化される前は下降しました。


1201系1210形 和歌山側
1210形です。
昭和11年増備グループから車体裾に所謂ミニスカートが取り付けられました。
またこのグループより溶接範囲が広がりました。1201形ではあった前面の鋲接表現が1210形ではなくなっています。
1201形は両側ともTNカプラーに換装していますが、1210形の和歌山側はダミーカプラーのままにしています。
と、言うのも


1201系1210形 貴志側
貴志側は運転台が無いからです。
嘗ての南海の車両はモハ、クハとも両運転台車で製造されていました。
しかし南海は昭和42年から43年の間で連続して(3度)事故を引き起こしており、
その対応としてのATS導入に関連して1201~1205を除いて片側の運転台を撤去した為です。

1201系1210形
因みに一時期3両運転が行われていた事がありましたが、プロトタイプとしている時期には既に3両運転は行われていません。
3両運転の頃に1両だけ存在していたのがクハ21201形で、元は偽ズームカーこと21201系のモハ21201形だった車両です。
塗装も当時の標準塗装のツートンで、四角の小さい行先表示板を正面ど真ん中に取り付けられていた姿が何とも間の抜けたような感じがしました。

1201系
さて、転属された1201系は10両で、その内訳が1201~1204、1210、1213、1217、1218、1234、1241となり、1201~1204が両運転台車で、1210以降の残る6両の内、奇数車が貴志側、偶数車が和歌山側のそれぞれ片運車となります。
因みにシークレットは1213形で、貴志側片運車となります。
1213形はさよなら電車のヘッドマークを掲げて走った車両になります。
ただ、マークを掲げて走らせるには側面の社章は2代目のものなのでCIロゴに変更する必要がありますが。
因みに全車が2段上昇窓の車両で統一されていました。

1201系の話に戻りますが、1201系は非常に勝手の良い車両だったようで、普通車から2001系の補助として急行としても活躍しました。
また、1201系をベースに電動機器を1501系と同じMT-40に換装し、台車を住友製FS-26又は汽車製KS-8を装備した1551系も登場しました。
見かけは1201系の姿に新型台車と言う不釣り合いな姿ですが…そこはご愛嬌と言う事で。
1551系の一部は内装を転クロに変更、塗装も異なるものとして急行「あわ号」「なると号」として運用されました。
また、廃車された2001系に代わって南紀直通車両サハ4801の牽引車両として、南紀直通客車の廃止を見届けました。



0 件のコメント:

コメントを投稿